池田信夫「イノベーションの経済学」第4章 起業家精神
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SBI大学院大学がYouTubeにアップロードした池田信夫さんのイノベーションの経済学「第1章 イノベーションとは何か」と「第2章 イノベーションの思想史」と「第3章 経済成長と生産性」の続きです。
第4章は「起業家精神」というテーマです。
日本人には足りないと言われている起業家精神についてです。
この講義をみると2つ解釈に別れると思います。
「起業しよう!」と思う人と、「起業は辞めておこう」と思う人です。
いずれにせよ、今回も非常に面白く、興味深い内容になっています。
イノベーションの経済学
第4章 起業家精神
第1節 起業家とは
4-1-1
企業家精神。英語で「Entrepreneurship」。元はフランス語。元はシュンペーターが使ったと言われている。
「Entrepreneurship」は英語だと「undertaker」と訳す。「undertaker」は「何かに取りかかる、事業を興す」という意味。
しかし、「undertaker」には「葬儀屋」という別の意味もある。それを嫌って、「Entrepreneur」というフランス語が起源の言葉が「企業家」に相当する英語に今はなっている。
「ベンチャー」という言葉はアメリカ人には通じない。アメリカでは「startup」と言う。「startup」は「Entrepreneur」よりも広い意味があり、日本語で言うと「自営業」に近い言葉。
新しくやる企業はみんな「startup」。日本語で言う「ベンチャー」が「startup」と考えてよい。
日本の場合、既存の大企業のイノベーションだけでは、かなり行き詰まってきた状況にある。
日立製作所は博士号を持っている人が2000人もいるのに、連結の収益が赤字になったりする。博士号を持っている人々の技術的な知識や社員のパワーを日本の大企業は生かし切れてない。でも、これはやも得ないこと。
企業は最初はぐんと成長するけど、ある程度の規模になるとピークアウトする、成長が減速するのはどの企業でも当たり前のこと。
アメリカではGMは倒産の一歩手前になっている。
経済全体として成長率を高めていくためには、大きな成熟した企業がいつまでも残っているだけではダメで、新しい「startup」が出てこなければならない。それが、経済全体としてのイノベーションを活性化する一番重要なことになる。
シカゴ大学のkerzner(カーズナー)が起業家の条件として、「技術」は1つの条件となるがそれだけはダメと「Competition and Entrepreneurship」という有名な本の中で言っている。
Competition and Entrepreneurship
Israel M. Kirzner
感度(alertness)・・・どこに収益の機会があるか、どこにビジネスチャンスがあるか、ということを嗅ぎつける、アンテナを張って新しい情報を見つける感度。カーズナーはベンチャーにとって一番大事なことは「感度」と言った。
つまり、どこに儲けのチャンスがあるか、例えば、「ここにお客さんがこういったモノが欲しいと思っているのに、そこにそういったサービスをしている企業がいない」とか、「ここでこういったサービスは飽和しちゃっているんだけど、少し変えれば新しい儲けになる」とか、いわば「勘」が「startup」にとっては一番大事。
技術革新・・・もちろん、新しい技術を持っているということも重要。
情報発信(selling cost)・・・普通の常識的な経済学では、「良いモノを作るとお客さんが来て売れる」と考えるが、実際はそうではない。非常に良い製品を自分の部屋で発明したとしても、それを自分の部屋に置いておく限り、絶対に誰にも売れない。つまり、良いモノを開発した時には、「こんなに良いモノを私は持っているんですよ」となるべく広い人々に知らせなければならない。広告、1対1の営業と色々な方法がある。
感度(alertness):市場から情報を受信する力がなければならない。
情報発信(selling cost):市場に対して情報を発信する力がなければならない。
これが、カーズナーが考えた起業家の条件。
4-1-2
Knight(フランク・ナイト)は 「Risk, Uncertainty and Profit(1921年発行)」という書籍の中で「リスク」と「不確実性」とは違うという有名な説を立てた。
Risk, Uncertainty And Profit
Frank Hyneman Knight(フランク・ナイト)
「リスク」とは、どういう事象がどういう確率で起こるかあらかじめ分かっている。たとえば、サイコロの「1」の目は6分の1の確率で出る。確率論で計算ができる。「固有リスク」とは、保険のような形で事前にヘッジ(リスクを回避)できるもの。海上での舟が沈没する確率とか火災が起こる確率は事前に分かっている。「リスク」というのは、事務的な仕組みでヘッジできる。イノベーションとかベンチャーということは関係ない。
「不確実性」とは、たとえば、サイコロの目は6つしかないから、どの目が出るかは6分の1ということは誰にでも分かるが、ある会社の新製品が大ヒットするのか、それともしないかのかは全く分からない。まず、そもそもサイコロのように母集団が分からない。サイコロの場合は母集団が6つで事象は1つだが、新製品の場合は何を持って売れるとするのかしないのか、どこの市場を見て言うのかという判断が難しい。
仮に赤字になるか黒字になるかだけを判断の基準にするとしても、黒字になるにはどのくらいのコストをかけなければいけないのか、どのくらい売れば黒字になるのか、つまり、問題のスケールが分からない。事象の確率を計算しようがない。
たとえば、訴訟を起こされるかどうかの確率も分からない。コンビニをやっていて、賞味期限切れの商品をたまたま保健所の人が見つけるかもしれない。それによって、1週間くらい営業停止処分になるかもしれない。これは、事前に予測できない事件。
もともと、起こるか起こらないかさえ分からないような問題をどうコントロールするかという時に、経営者は重要な役割を果たす。
フランク・ナイトは組織を神経系統にたとえて考えた。
たとえば、人間も含めて高等動物の神経系統には中枢神経がある。バクテリアのように末梢神経だけで、どこかで断ち切られても生きられる動物と違って、人間のような高等動物は一部を失うと組織全体が成り立たなくなるということが起こる。
その場合、脳が全体を統括して、身に危険が迫ってきた時は、脳が「逃げる」という判断をしても、足は「逃げない」とかなってしまうと、その動物は生きていけなくなる。
つまり、中枢神経がすべてを決めて、行動は1つの答えとして一致して行う。それが失敗しても、成功しても、その責任は中枢を担った意思決定をした部分が取る。それが経営者に当たる。これが、フランク・ナイトの経営論。
そうじゃなかったら、経営者なんていらない。株式会社はもともと株主のものだから。
国会のように株主総会で多数決で会社の運営はできない。なぜなら、会社というのは、いつなんどき、緊急事態が起こるか分からない。そんな時に、株主総会をやっていたら、やっているうちに会社はつぶれてしまう。
だから、そういう不確実性に対して、経営者が自分の責任で行動を取る。失敗しても、自分で責任を取る。
経営者の意味とは、不確実性にいかに対応するかということ。それが、経営者や企業のイノベーションを起こす役割。
4-1-3
アメリカではベンチャーが日本より多いと言われるが、年間の開業率は7.2%しかない。日本は10%ぐらい。アメリカの開業率はOECD加盟国の中で下から2番目。しかも、減っている。一番開業率が高いのはトルコで30%を越している。
この場合は、自営業の開業率。ラーメン屋やレストランや洗濯屋といったものをすべて入れている。そういった形態の店がどんどん開業される国が良い国かというと、どちらかというと、トルコやインドのような貧しい国が開業率が高い。
だから、アメリカのように比較的成熟した国では、必ずしも開業率は高くない。
日本で経済産業省が「資本金1円でもいいから会社をたくさん起こしましょう」と一生懸命やっているけど、会社を起こせばよいというものではない。
アメリカで「startup」と言われる自営業で興された会社の内訳を見ると、小売業・外食・建設業・洗濯屋といったローテク産業が圧倒的に多い。自営業の生存率も5年で45%。また、自営業の人々の所得は平均すると勤労者より低い。
つまり、アメリカでは自営業の人々は必ずしも豊かな人ではない。
ベンチャー企業というと若者が夢を描いて起こすようなイメージがあるかもしれないが、実際には自営業を興した人の平均年齢は40代、会社を辞めて独立するというパターンが多い。その理由も、サラリーマンがイヤになったからという理由が多い。こういうネガティブな理由で始めた自営業は、たいてい上手くいかないというのがこの調査のもう1つの結果。
自営業というものと、イノベーションの担い手になる「Entrepreneur」とは、実は違うものというのが大事。
アメリカは世界で一番ベンチャーキャピタル(VC)が多い国だが、アメリカでさえ、自営業の中でベンチャーキャピタルが投資する企業は0.1%しかない。
つまり、外食レストランや洗濯屋にはベンチャーキャピタルは投資しない。
ベンチャーキャピタルとは文字通り冒険的な投資をするので、儲かる時には何倍にもなってリターンが返ってこないとベンチャーキャピタルは成り立たない構造になっている。1割、2割と儲かってもしょうがない。
5年たったら半分潰れるような投資先を相手にしているのだから、生き残ったところからは何倍もリターンを取らないと困る。
何倍もリターンを取れる企業は、そんなにたくさんない。
洗濯屋とかラーメン屋とかは、何倍もリターン取れるはずがない。
つまり、ベンチャーキャピタルが投資するような企業というのは、実は非常に特殊な今までにないイノベーションのできる企業に限られている。
そして、ベンチャーキャピタルが投資した企業に限って見ると、1980年代からここ20年ぐらいのアメリカの株式を公開している企業全体の20%をベンチャーキャピタルが投資した企業が占めている。これは非常に大きい。数としてはものすごく限られているので。
公開企業の中でベンチャーキャピタルが投資した企業は1%あるかないかぐらい。
たとえば、グーグル1社だけで15兆円から20兆円くらい、トヨタ1社と同じくらいの時価総額がある。
つまり、数は非常に少ないけど、1社としての時価総額・企業価値は非常に大きい。
これが、本来の意味でのベンチャーというか、「Entrepreneur」にとっての一番大事なこと。そして、それに対して、ファイナンスするベンチャーキャピタルの一番大事な役割。
大事なことは、資本金1円で会社を起こすということではなくて、自分が起こす会社が今まで世の中にない、いかに新しいイノベーションを創り出せるのかということだけにかかっている。
第2節 代表的なベンチャー
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「インテル」「アップル」「マイクロソフト」はベンチャー企業の古典的なケース。
この3社でベンチャーとイノベーションの関わりを考えてみる。
◎インテル(1968)
一番先輩格。シリコンバレーの「startup」の走り。
シリコンバレーがそもそも始まったのはヒューレット・パッカード(HP)と言われているが、今となってはベンチャー企業という感じではない。
技術志向、イノベーション指向のベンチャーのパイオニアはインテル。
インテルは、元々はAT&Tのベル研究所でトランジスタを開発したチームにいた人たちが、いろんなところに散って、その中で「Fairchild(フェアチャイルド)」という半導体の会社を作った。ロバート・ノイス(Robert Noyce)というIC(集積回路)を発明した有名な人を中心にした会社。そして、「Fairchild(フェアチャイルド)」の技術者がばらばらになって様々な会社を作った。
当時のシリコンバレー、アメリカの半導体業界はトランジスタという20世紀最大の発明が大きな産業をもたらすだろうと皆が予想していたために、トランジスタを使って色々なことを試みた。
その中で成功した企業の1つは日本のソニー。ソニーはトランジスタを使ってラジオを作った。この当時は誰も思いつかなかった発想で、ある意味で、ソニーもトランジスタに関連するベンチャー企業の草分けの1つだったと言っていい。
ただ、トランジスタそのものに関しては、インテルが中心的存在。しかも、40年たった今日でも世界最大の半導体メーカー。この分野で草分けでありながら40年経ってもトップメーカーとして君臨する企業。こういった企業は非常に少ない。そういう意味では、インテルは技術的にも経営的にも素晴らしい人材に恵まれた会社。
創立者はロバート・ノイス(Robert Noyce)とゴードン・ムーア(Gordon E. Moore)。ゴードン・ムーアは「ムーアの法則」で有名。
その後、中心的になってインテルの経営をやったのは、アンディ・グローブ(Andy Grove / Andrew Grove)。
アンディ・グローブが書いた「インテル戦略転換」という本は非常に面白い本。いかに変化の激しい半導体産業の中で、変化に上手く適応しながらインテルは生き延びてきたという状況を描いた本。
インテル戦略転換
Andrew S. Grove 佐々木 かをり 
◎アップル(1975)
スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とスティーブ・ウォズニアック(Stephen Gary Wozniak)がガレージから始めた会社。
最初のヒット商品は「Apple II」。どちらかといえば、ホビー。ゲーム機に近いコンピューター。
1970年代後半にインテルがマイクロプロセッサを発明し、昔はメインフレームの大きなコンピューターでやっていた仕事が、半導体1個でできるようになった。しかも、それが数センチほどの小さなものでできるようになった。
そのマイクロプロセッサを使って、色々な人たちがやり始めたのはゲームだった。
コンピューターを使ってインターネットで最初に皆がやり始めたのは戦争ゲームだった。ゲームはコンピューターに馴染む。ゲームはインタラクティブに動くものだから。テレビは一方的。
アップルが最初に作った「Apple I」や「Apple II」も、もっぱらゲーム機だったと言ってよい。
アップルのコンピューターに対して、IBMが1981年に「IBM PC」を出してきた。アップルはこれに対し、1984年に「Macintosh」を出した。
「Macintosh」はグラフィックインターフェースを持った最初のコンピューター。
初代Macintoshはとても使い物にならなかった。まず、日本語が画面には出てくるが、印刷すると全てグラフィックで出てくるので、すごい時間がかかる。漢字を一行プリントするのに5分くらいかかる上に、画質は粗い。レターペーパー1枚出すのに1時間くらいかかった。しかも、マシンの能力が低いので、いちいち待たされるし、すぐに爆弾マークが出て落ちる。
当時、一般的に使われていたコンピューターは「MS-DOS」。ユーザーインタフェースとしてはお粗末なものだった。
「Macintosh」は「MS-DOS」に比べて、愛嬌はあるのだが、スピードが遅くて拡張性もなかった。メモリやディスクが拡張できなかった。
結果的には、「Macintosh」は非常にオシャレで良いコンピューターなんだけど、全く売れなくなってしまい、会社が傾いてしまった。
スティーブ・ジョブズはアップルを一旦追い出されたが、1997、1998年に戻ってきてiPodでカムバックを遂げた。
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◎マイクロソフト(1975)
アップルに対し、マイクロソフトはビジネスライクに順調に成長を遂げてきた。
ビル・ゲイツ(William Henry Gates III)が大学をドロップアウトして作った会社。
最初は「MS-DOS」の会社ではなかった。「BASIC」というパソコン用の言語を開発する会社。
昔の初期のコンピューターはオペレーション・システムはなく、コンピューターにそのまま直接「BASIC」のプログラミングをして、「BASIC」のインタープリタで動かすというやり方だった。
「BASIC」という言語ですべてを書かなければならない時代に、「BASIC」を開発する会社として作ったのがマイクロソフト。
マイクロソフトが大きくなった最大の原因は、なんといっても「MS-DOS」。
メインフレームの会社だったIBMが、1970年代後半からのパーソナルコンピューターが出てきたので、IBMも「おもちゃみたいなものだけどやってみよう」ということで、「IBM PC」を作った。「IBM PC」はどうせおもちゃだから、あまりやる気がないから、ありモノの部品で作った。IBM自身はほとんど部品を開発しなかった。オペレーティングシステム(OS)もCPUといった中核的な部品まで全て外注した。
しかも、一番中核的なオペレーティングシステム(基本ソフトウェア、すべてのソフトウェアが動く基盤となるソフトウェア)、IBMのメインフレームのコンピューターで言うと極秘扱いになっている非常に重要な情報を、マイクロソフトというIBMから見たらゴミみたい会社、当時、社員が10人いるかいないかくらいの会社に発注した。
これが、マイクロソフトにとって大きな飛躍のきっかけになった。
実は、初代「MS-DOS」は、マイクロソフトが自社で開発したものではなく、よその会社から買ってきたもの。「MS-DOS」をよその会社から買ってくるということを思いついたのが、日本人のアスキーを創立した西和彦さん。当時はマイクロソフトのスタッフ。西和彦さんはマイクロソフトが世界的な大企業になるのに非常に重要な役割を果たした。
マイクロソフトは「IBM PC」のOSを作ることによって、世界中のコンピューターが1980年代を通じて事実上「IBM PC」の互換機になった。
「IBM PC」と同じ機能のものを、別の部品を使って作ることができるようになった。そのため、コンパックといった互換機メーカーが出てきた。アジアには様々な互換部品を作るメーカーがたくさんできた。そして、あっという間に、「IBM PC」とその互換機が世界のコンピューターの標準になった。
これによって、「MS-DOS」は世界の標準になり、マイクロソフト社が世界の標準になった。
どこまでビル・ゲイツ自身が予想していたかは分からないが、アップルの方が遙かに早くからパーソナルコンピューターを開発していて、しかも性能としては「Macintosh」の方が優れていたにもかかわらず、結果的には「MS-DOS」が世界の標準になった。
「Windows」はどうみても「Macintosh」のモノ真似だが、「Windows」が結局、世界の標準になってしまった。
しかも、「Windows」はIBMの「OS/2」というオペレーティングシステム(OS)から出てきたものだが、マイクロソフトは功名にもIBMに「Windows」を全部売り渡さないで、IBMの「OS/2」とは別に「Windows」を作り続けて、結局本家のIBMを倒してしまった。
そういう意味では、ビル・ゲイツは大変な戦略家であったと言っていい。
このように見ていくと、ベンチャーといっても色々なパターンがあって、単に「新しいアイデアを持っています」というだけではダメ。むしろ、ベンチャーを立ち上げてから、いかにそれを上手く生き伸ばせるかということが非常に難しい。
インテルやマイクロソフトのように、ずーとトップを走るというのは非常に稀な例。だいたい、アップルのように最初はトップランナーでもこけちゃうのが一般的。アップルのように、また立ち上がるのはめずらしい。
たいていは、10年持たないで転けてしまうというケースが多い。
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日本のベンチャー。
◎アスキー(1977)
創立者:西和彦
西和彦さんはマイクロソフトのいわば共同創立者といってもいいくらいに、初期に重要な役割を果たした人。西和彦さんの技術的なアドバイスがビル・ゲイツにとっても重要な役割を果たした。いまだに、ビル・ゲイツは西和彦さんに頭が上がらないところがあるみたい。
しかし、アスキーそのものは企業としては上手くいかなかった。
マイクロソフトはあくまでもソフトウェアの会社に徹した。世界で一番大きなソフトウェアの会社になったけれども、基本的にはソフトウェア以外のことには手を出さなかった(Xboxなど多少の例外はあるが)。ソフトウェアの世界で、世界のリーダーシップを取る。水平分業型の戦略をとった。
それに対して、アスキーは色々なことに手を出しすぎた。西和彦さんは機械が好きなので、ハードウェアをやりたがった。LSIや楽器やオーディオを作ったがみんな失敗した。
アスキーは元は出版からスタートした会社だが、最後は出版だけに戻り、今は「アスキーメディアワークス」という名前で角川書店に吸収合併された。
◎ソフトバンク(1980)
創立者:孫正義
ソフトウェアの卸売りという非常に地味な商売からスタートしている。ソフトウェアの卸売りはそこそこの商売になったかもしれないが、流通なのでベンチャーというタイプの商売ではない。
ソフトバンクが大きくなった最大のきっかけは、Yahoo!が1990年代に創業する時に、Yahoo!の株式を30数パーセント持った。これは、ほとんど偶然だったと言ってよい。資金に困っていたYahoo!のジェリー・ヤンと資金を持っていたソフトバンクの孫正義さんが出会った。Yahoo!が非常に小さな会社だった時に、孫正義さんがYahoo!創立者であるジェリー・ヤンとデビッド・ファイロに次ぐ株主になった。
時価総額が何万倍となったので、結果的にそれがソフトバンクグループの資金源になった。
それによって、イー・トレードをはじめ色々な会社を買収して、日本のYahoo!を作って、ドットコム企業をたくさん買収して(大部分は倒産しちゃったが)、結果的にはSBI大学院大学を含めて、ソフトバンクグループは日本で一番大きなベンチャー的な企業に成長した。
そういう意味では、ベンチャーはギャンブルの側面を持っている。
ITバブルの崩壊後は、サービス業的なものから手を引いて、ADSLのYahoo! BBやボーダフォンを買収したソフトバンクモバイルといったインフラ型がビジネスにシフトしている。
SBI大学院大学もソフトバンクグループの1つだが、ソフトバンクインベストメント(SBIインベストメント)という会社がソフトバンクの最初の投資部門の独立した会社。今は資本関係はない。
◎第2世代:livedoor、mixi、楽天
第2世代のベンチャーは日本でもあってよかったのだが、いわゆるドットコムバブルも日本ではあったが、ライブドアは刑事事件に巻き込まれてしまった。
しいて言うと、ミクシィーはドットコムで残ったうちの1つ。
第2世代で残って今もそれなりの結果を出している会社の中で一番大きいのは楽天。
21世紀に入ってから、日本はベンチャーというべきものはほとんど出てきていない。
これが日本経済全体の活力をそいでいると言える。
第3節 ドットコム
4-3-1
今までは上手くいったベンチャーの話だが、世の中は上手くいった人から学べることはあまりない。失敗した人から学べることの方がずっと多い。
イノベーションは上手くいく場合よりも、上手くいかない場合の方が遙かに多い。その実例が2000年前後のいわゆるドットコムバブルと言われた時期にはたくさんあった。
◎ネットスケープ(1994〜1998)
一番最初にこの種のブームの走りと言われるのがネットスケープ。昔はブラウザと言えばネットスケープだった。1995年にナスダックにIPO(上場)したが、売上がほとんどなく収益も赤字のままで上場した。ナスダックの歴史上でも例のない事件。赤字の企業が株式を公開して、市場最高値に近い値段を付けた。このネットスケープのIPOがドットコムバブルの走りと言われている。この後、赤字のままIPOするのが大流行になってしまった。
ネットスケープ自体は、その後「Windows95」にInternet Explorerが標準搭載されるようになってシェアを失い、1998年にAOLに買収された。
初期には普通のコンピューターにネットスケープをダウンロードしてブラウザを使っていたが、「Windows」にInternet Explorerがついてくれば、皆それを使う。
ネットスケープの元祖は、マーク・アンドリーセンらが1993年に開発された「NCSA Mosaic」。その後、「Mosaic Communications」という会社を立ち上げ「Mosaic」という名前でブラウザを発表しようとしたら、これは商標権に引っかかるということで、「Mosaicをやっつけるゴジラ」ということで、「Mozilla」という名前でほんの一時やっていた。
ネットスケープ自体はAOLに買収された後も、「Mozilla」はオープンソースのボランティアのプロジェクトとして残っていて、「Mozilla Firefox」というブラウザを作って、IEのシェアはどんどん下がって8割ちょいで、Firefoxは17〜18%くらい取っている。
会社としてのネットスケープは、マイクロソフトとの競争に敗れてしまった。
これで、マイクロソフトは司法省から訴訟を起こされたりしたが、結果的には司法省が負ける形で和解をした。
◎アマゾン(1994)
ビジネスモデルとしては単純なもの。
この手のウェブ上の通信販売の山のように出た。アマゾンのマネをしたようなサイトがもの凄くたくさん出たが、アマゾンとeBay(イーベイ)以外にほとんど生き残っていない。
アマゾンの創設者のジェフ・ベゾスが「Big & Fast」とよく言った。とにかく、「早く大きくなること」がこの世界では重要。
◎ヤフー(1995)
最初は人が入力をしていたが、そのうち検索ロボットが検索するようなシステムが出てくるようになって、それへの対応が遅れてしまったことが、今の経営状態が良くない状態の1つの原因だと思われる。
4-3-2
◎グーグル(1998)
スタンフォード大学の大学院生がほとんど趣味で作ったようなプロジェクト。最初は何で収益を上げるか分からなかったが、結果的には検索広告で非常に大きな成功を収めた。
グーグルの経営者自身も予想してなかったことと思われる。実は、グーグルが立ち上がった2〜3年くらいは全く収益性のないプロジェクトだった。単なる検索の性能を上げるだけのプロジェクト。
2002年に、今のOverture(オーバーチュア)の元になる「goto.com」というサイトの検索広告のビジネスモデル特許をビル・グロスがグーグルに売り込みに来た。当時のCEOだったエリック・シュミットは、その売り込みを断った。その後、ビル・グロスがYahoo!に売り込んで、Yahoo!がOvertureを買収した。
つまり、グーグル自身も当時は検索広告が商売になるとは思っていなかった。
ところが、結果的にはグーグル自身が同じような検索広告を始めるようになり、後ほど、ビル・グロスに多額の訴訟を起こされ、特許侵害を認め多額の和解金を支払った。
結果的には、グーグルは「検索を広告に結びつける」という大きなビジネスと思われていなかった、隙間的なビジネスとしか思われていなかったものが、今ではグーグルの年間売上が1兆円を越すことになっている。
非常に急速に売上が伸びた。これだけ急速に伸びるとは、おそらく誰も想像していなかったこと。これがイノベーションの面白いところでもあり、怖いところでもある。
誰も予想しなかったビジネスがもの凄く伸びることもあれば、「これはいける」と思ったビジネスが全くダメだったということも、しょっちゅうある。
そういう不確実性は非常に大きい。不確実性をいかにマネージしていくかということが、イノベーションの非常に重要な要因。
グーグルは必ずしも彼らが上手くマネージしたとは思えないが、結果としては、グーグルに資金を供給した「クライナーパーキンス」などのベンチャーキャピタルがグーグルの経営に助言をして、上手くマネージしてきた。
ここからは、失敗例。
◎Webvan(ウェブバン)
オンラインのスーパーマーケット。
2000年頃、サンフランシスコに行くと、街中にWebvanのトラックがたくさん走っている。サンフランシスコ郊外にもの凄く大きな店があって、注文はウェブでする。
ウェブでキャベツを1ドルで買うという注文をすると、30分後に郊外の店からトラックでキャベツを運んでくる。奇想天外なビジネスモデル。
キャベツ1個やボールペン1個を30分でサンフランシスコ市内をトラックで運んでいたら採算が合うはずもなく、結果的には物流コストが大きすぎて、Webvanは莫大な負債を抱えた。
サンフランシスコだけなら良かったが、全米に広げてしまい、全米で大失敗をしてしまった。ドットコムバブルの失敗例としては、最も派手で有名な失敗例。
◎Go.com
ディズニーの総合サイト。
アイズナーCEOがウェブで色々なものが出てきているのを見て、ディズニーもウェブで何かやらなきゃいけないと、ウェブ上で動画配信などをはじめた。
しかし、ディズニーはすでにメディアコングロマリットのようなものだから、ESPNやABCをやっている人にとってはウェブは敵。なぜ、敵のウェブに自分たちの番組を出さなきゃいけないんだということで、社内でゴタゴタしているうちに、ドットコムが崩壊した。
◎Pets.com
ペット関連ストア。
ペットを売っているのではなく、ペットの関連商品を売っているサイト。エサやオリなど。
ドッグフードだけで通信販売なんてなりたつはずがない。でも、当時はすごい売れた。キャラクターも可愛かった。サイトのアクセス数も多かったが、誰もわざわざドッグフードを通信販売で買おうとは思わない。近所のスーパーに行けばあるんだから。
4-3-3
◎eToys(イートイズ)
おもちゃ。一時期はトイザらスよりも時価総額が大きくなるくらいブームになった。
おもちゃは使うのは子供。ウェブはある程度ものを抽象化して見る能力がある大人が使うもの。子どもは実物を触って欲しいと思う。ウェブ上にぬいぐるみの映像だけあって、それをクリックして買う子どもはなかなかいない。
◎theGlobe.com
今で言うSNS。IPOのネットスケープの最高時価総額を塗り替えた。
早すぎた。収入モデルが確立されていなかった。
みんなでサイトに集まって色々な情報を交換するというサイトで、アクセス数は非常にたくさんあった。しかし、アクセス数をお金にするシステムが上手くいっていなかった。後の「MySpace(マイスペース)」に似たサイト。「MySpace(マイスペース)」は広告で成り立っているが、「theGlobe.com」の時代には、アクセス数を上手く広告料金に変換するというシステムが上手く成り立っていなかった。
早すぎて失敗したモデルは日本にもある。
「社長失格」という本を書いた板倉雄一郎さんが、ホットメールのような無料Eメールに広告を出すことによって儲けるという(今でいうGメールなんかと同じ)ビジネスモデルを開発して、一時期は上手くいっていたが、ドットコムバブルの崩壊と共にダメになってしまった。
社長失格—ぼくの会社がつぶれた理由
板倉 雄一郎
◎イーファニチャー
家具の店。本は物流コストはたいしたことないが、家具は形が色々で大きさも様々なので、たとえば全米で展開しようとすると、物流コストだけでダメになってしまう。
その当時、思いつきでありとあらゆるサイトが運営されたが、今はほとんど残っていない。残っているのは100分の1くらい。
イノベーションとか、ベンチャーというのはそういうもの。ルーレットで36分の1賭けるくらいのビジネス。
逆に言うと、失敗することは最初から織り込んでやらなくてはいけない。これがイノベーションにとって非常に重要なこと。
ITバブルは1990年代後半に盛り上がって、2000年の4月頃まで上がり続けて、マイクロソフトが司法省との訴訟の第一審で敗訴した日がピークの日だと言われている。それが、バブルが崩壊するきっかけだったと言われている。
バブルというものは色々な国で、世界中を見ると、だいたい10年に1度は起こっているもので、ある意味で資本主義の年中行事みたいなもの。
イノベーションというものは、ある種の賭けであって、大部分は負ける。その失敗をすることを織り込んで、イノベーションを考えなくてはいけない。
「第5章 技術革新」に続く
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